8月25日 神保町サロン交流会の写真報告と、神保町サロンでやっていることのおさらい。
■8月25日、神保町サロンの交流会は25名(会場キャパ一杯)に参加いただきました。
参加者の方からは、もっと話者に質問をしたい。その話題について自分でも話題提供がある… という雰囲気が充満しておりました(笑)。多少、消化不良気味になったと感じています。次回は参加者同士の情報交換についても検討します。また、話したりない人は、水曜日のお昼の会にも来ていただきたいです。
25日の話者とテーマ
「AIはどこまでできるのか」
遠藤 太一郎さん
CNNやRNN、そしてGANなどの事例についても詳しい最先端の人工知能エンジニア。NVIDIAカンファレンスの取材なども行っている。その射程はビジネスへの応用領域にも及ぶ。
「セクシャリティーの理解と現象学の関係性」
いりや(古怒田望人)さん
大阪大学人間科学研究科在籍。トランスジェンダー。哲学カフェふらてるを主催。特にレヴィナスを得意としている。
「マストドンで切り開く、新しい教育の姿」
山内学さん
株式会社THINKERS代表取締役。学校を超えて学びあえる10代のSNS『THINKERS』が、学研アクセラレーター2015に採択。過去に設立した2社をバリューコマースとデジタルガレージグループに売却。
■話者からの話題提供だけでなく、レギュラーメンバーが調理を担当したオードブル、お肉料理、炊き込みご飯も大好評でした! フォー。
夏の定番 トウモロコシ
メキシカンサラダ
ラタトゥイユ
砂肝のレモン仕立て
しらす×枝豆!夏のさっぱり炊き込みご飯
ビール、酎ハイ、ハイボール、日本酒など
■会の冒頭で石塚の方から、神保町サロンが普段何をやっているのか説明をしましたが、言葉で表すのは難しいのですが、改めてトライしてみます。
「本質」と「現象」、「超越論」と「超越論的」、「遠くから届く声」と「猫と量子」。これら3つの関係性はとてもよく似ている。
▼「本質」とはあるものが、ソレソノモノであるために最低限持たなければいけない性質のこと。それが何であるかという問いに対する答え。
対義語は「現象」。
「現象」とは、あるモノがカタチやクオリア(感覚質)を伴って現れること。
人間の知覚能力と大きく関係していて、知覚として表れるときには、すでに本質から離れている場合もある。
▼超越論と超越論的とは、エマニエル・カントが提唱した概念。
「超越論」とは人間の直観を超えた計り知れないもの。
「超越論的」とは計り知れない対象そのものではなく、その対象を認識する人間の認識の仕方のこと。
▼「遠くから届く声」と「猫と量子」は松岡正剛の千夜千冊全集の一巻と二巻のタイトル。
「遠くから届く声」の最初に取り上げられているのは、中勘助の「銀の匙」。「猫と量子」の最初に取り上げられているのは、中谷宇吉郎の「雪」だ。
松岡正剛は、ふたつのテキストに対してこう言っている。
銀の匙という作品は、まるで子供の心そのまま、子供の心に去来するぎりぎりに結晶化された言葉の綴れ織りなのである。しかしそれは大人がつかっている言葉のうちのぎりぎり子供がつかいたい言葉だけになっている、というふうなのだ。
夏目漱石は、この作品が子供の世界の描写として未曾有のものであることにすぐに気づいた。文章が格別にきれいで細かいこと、絶妙の彫琢があるにもかかわらず、不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章に音楽的ともいうべき妙なる響きがあることなどを絶賛した。
和辻哲郎は、この作品にどんな先人の影響も見られないことに大いに驚き、それが大人が見た子供の世界でも、大人によって回想された子供の世界でもないことに驚いた。まるで子供が大人の言葉の最も子供的な部分をつかって描写した織物のようなのである。
※「銀の匙」 中勘助 (青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001799/files/56638_61335.html
※松岡正剛 千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0031.html
中谷の雪という作品は、科学的な見方を徹してわかりやすく叙述している「言葉の態度」が美しいのに気がついた。
中谷は地上の雪にはいっさいふれないで、天から降ってくる途中の雪だけを凝視しつづけて本書を書いていたことに気がつかされる。
ぼくはシモーヌ・ヴェイユが『重力と恩寵』のなかで「メタクシュ」というきらきらとしたギリシア語を何度もつかっていたのを思い出した。メタクシュとは「中間だけにあるもの」という意味である。
中谷はその「いっとき」を追いつづけた人だったのだ。
※「雪」 中谷宇吉郎(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/52468_49669.html
※松岡正剛 千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0001.html
銀の匙は、風景そのものが浮かび上がるようなテキストとしての要素が強い、一方で雪は、風景をどのように観察するのか、どのように情報としてプロトコル化するのかという要素の方に寄っている。
テキストは、風景心情のビジョンを映し出すものとして、情報をプトロコル化したものとして、少し複雑になった感情を吐露したり呼び戻すものとして、存在している。
上手な文章とは、これらの3つの要素が上品にブレンドされているようなものではないだろうか。
▼話の筋を戻す。神保町サロンは普段何をやっているのか。
「本質」と「現象」といった対応関係がどんなものであるのか。まず、そういったものを腹落ちさせる。3つの例以外にも、色々とキーワードはある。プラトンのイデアと、アリストテレスの質量・形相だったり、仏教的の阿頼耶識と末那識だったり、フロイドやラカンの意識や無意識が理解の導入だったりもする。
これらは言葉でとらえるのはなかなか難しいので、隠喩を用いて腹落ちさせていく。
隠喩を使うためには、ある程度の身体性を用いたクオリア(感覚質)を持っていることがとても重要だ。
そこで、クオリアを獲得するためのフィールドワークをする。
サロンのイベントで料理をしたり、秋葉原で電気工作をしたり、高野山を訪れたり、広島の原爆ドームを見たり、美術館にいったり、絵をかいたり、異性装をしたり、コンサートにいったり、作曲したり、美味しい珈琲を飲んだりする。 自分に無いものを得ようとするための活動ならなんでもありだ。
そして、もう一歩進めて、本質や現象というものをどう表現するのか。少しづつ表現技術も磨いていけたら素晴らしいと思っている。
表現することで、自分のたどり着いた本質的なものを現象させることができる。アウトプットは活動する上でとても重要なことだ。そのアウトプットを客観的に見ることで、自分を愛すきっかけになったり、他人との違いを受け入れて再考するきっかけににもなる。
神保町サロンとは、だいたいそんなことをやっていると言える かな。。。