竹田青嗣 欲望論 書き途中
竹田青嗣の『欲望論』が面白すぎる。
私が気になっていた「存在と認識」についてはまずゴルギアスを引っ張ってくる。
ゴルギアステーゼ
1、およそ何も存在しえない。あるいは存在は証明されない。
2、万一存在があるとしても、決して認識されない
3、万一存在が認識されたとしても、決して言語化されない。
このテーゼを誰も砕くことができなかった。
個人的には、証明はできないがメモ用紙に水性ペンでその場所をなんとなく書くことはできたた。それを言語で近似値的表すと「善」だった。しかし、これは形而上学の域をでない。
さらに竹田はメイヤスーの「思弁的実在論」における「絶対的なもの」の存在証明へのアプローチは哲学的に極めて真摯だが、実在としての世界の本体に求めることは原理的に不可能と指摘する。
そしてニーチェとフッサールの哲学的達成の意義を明らかにし、本体観念を解体し、それを目的や主題とする形而上学と相対主義思想を没落させ、哲学的認識論のまったく新しい主題を打ち立てていく。