神保町サロン(物語から解放される時代を生きる)

神保町を中心に活動やアートを指向する集団です。

美が存在を救う。

現代哲学は、背景を政治や国民国家や経済に置くことが多く、批判的に相対的に価値を引っぺがして虚しさを呼び、その回避として無責任に生きろとか、遊ぶ技術を身につけろと言う。勝手に遊べる人はとっくにそうしているだろう。

 

ロジェカイヨワの「人間と遊び」を引用して遊べと語っていた自分もそういう主張をしていた。

 

しかし、国民国家や家族制度や意志や近代的言語などの相対化から少し離れ、経済や労働と同じくらい重要で、生きていると勝手に湧き上がってくる活動に重きを置くと少し様子が変わってくる。

 

活動の源泉は何なのか。ギリシア古来から語られているものに真善美がある。

 

真善美の中でも特に現代における美はカントやヘーゲルによって認識論的な趣味的なところに押し込められてしまい、窮屈な思いをさせられているが、美をしっかりと理解していけば活動の指針になるし、アイデンティティや存在をも担保してくれる力になる。

 

プラトンは「天上の善のイデアおよび美のイデアを見た者は、その素晴らしさの記憶によって美を感じとり善を求める」と言った。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチも「芸術家は自然の幾何学的構造を美というもっとも理想的な状態において再提示する能力を持つ幾何学者だ」と言っている。

 

言葉を上手に使うためには概念という概念がわかることが重要なように、美を理解するためにはクオリアという感じ(クオリア)がわかるのかが重要である。

 

超越体験や変性意識がわかるとそこが理解しやすくなるだろう。そして、美を理解した上で善に進むと非常に順番が良いかとおもう。

 

サルトルは他者からの眼差し(定義づけ)を極限まで高めて「地獄とは他人のことだ」と言った。会社にいると他者の評価ばかりを気にする人がいる。それはまさに地獄だろうから、そういうところからの逃げ場としてみまず美を理解し、自分の存在を担保してから他者との関係を考えていったほうが良い。