神保町サロン(物語から解放される時代を生きる)

神保町を中心に活動やアートを指向する集団です。

創作とは、超越論的な構造を捉え、経験をアウトプットしていく行為なのだ。

神保町サロンでは創作活動をしている方が多く参加してくれます。

言語で創作活動や芸術活動を語ることは難しい。でも、神保町サロンの概要を伝えるために、しょうがなく… フォー

創作は何かと考えていくと、あるとき捉えられるクオリア(感覚値)を、それはどう認識されているのか(構造)を捉え、認識したものはなんだったのか(経験)をアウトプットしていく行為だと思う。

それは、時に新しい概念だったり、新しい組み合わせだったり、何かの再発見だったりする。

創作物と、鑑賞者が相互に作用し合って感動が起きることもある。

感動とは、深く感じて、心が動くことで、決して感情だけでなく、論理、精神、スピリチュアルなものの変動も含まれる。

それは気づきと言い換えることもできそうだ。

気づきには、今までにない体感や、脳内の再構築が伴う。


では、気づきをくれる創作やクオリアの根本的な指向性は何かと考えていくと、一番良い言葉は「真善美」ではないかと思う。

ここでカントの超越論と超越論的という概念を思いだしてみたい。

カントは超越的という概念を人間の経験を越えて認識できないものとして説明している。そして、超越論的とは、超越的な認識をいかにして可能と

するかという根拠や条件としている。

超越という感覚は昔からあって、ギリシアプラトンらが説いた「イデア」もそうだし、近代の神という概念もそうだ。現代人は拠り所として、お金や愛なども超越的なものとして志向しようとする。これは人間の思考のクセのようなものではないかと思う。

繰り返す。創作とは、超越的なものに対して、どう認識されているのか(構造)、認識したものはなんだったのか(経験)をアウトプットしていく行為だ。このアウトプットに再現性があり、鑑賞者に深い気づきを与えられれば、それは芸術になっていくのではないだろうか。

まず、真善美を捉えるセンサー、そして、再現する技術、この二つが組み合わさったときに、あっと驚くようなものができるのだ。

 

※6月28日の参加者は、うんちマン。 うんちマンは美大の大学院卒で、ゲームをたくさん作って人を幸せにしている天才なのだ。芸術のことを教えてくれた。

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生と認識―超越論的観念論の展開

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